マイクタイソンの全盛期を彩った伝説のKO試合トップ10

今年57歳にしてリングに復帰することを決めたマイクタイソンですが、かつての全盛期は非常に強かったです。伝説ともいえるKO試合を連発し、破竹の勢いで進んでいました。そんなマイクタイソンの代表的なKO試合を紹介するのが本記事の企画です。


どんなKO試合だったか詳しく見てみましょう。

 

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マイクタイソンの強さの秘密

マイクタイソンはボクシングの歴史の中でも記録的な強さを誇りました。


彼が登場するまでのヘビー級ボクシングというと、クリンチの連続でもみ合ってばかり、結局判定で結果が出るという試合も多かったですが、マイクタイソンがそんな状況を一変させました。


マイクタイソンはスピード、パンチの重さとパワー、多彩なコンビネーション、柔軟なフットワークなどにより、相手を圧倒。早いラウンドで相手をKOに追い込み、圧勝することがよくありました。


その強さの秘密はトレーニングと食事にあったといいます。


主な練習内容はジョギング、ジャンプやダッシュ、10ラウンドのスパーリング、エアロバイク、各種筋トレなど。過酷なトレーニングが彼の強靱な肉体とスタイルを築き上げました。


食事内容は朝10時のオートミール、昼2時のステーキとパスタとフルーツジュース、夜7時も同じ。ヘビー級なのに比較的絞り込んだ食事内容で、引き締まった体を作ったのでしょう。


マイクタイソンの全戦績

マイクタイソンの全成績を紹介しましょう。


通算試合数は58で、勝ち数は50、負け数は6。勝利の内容はKO勝ちが16回、TKO勝ちが28回、判定勝ちが5回です。


輝いたヘビー級チャンピオンはWBC、WBA、IBFです。


マイクタイソン全盛期の代表的なKO試合トップ10

マイクタイソンの全生涯におけるKO勝ちは16回、TKO勝ちが28回ですが、その中から代表的な試合を10取り上げてみましょう。


1.マイケル・スピンクス戦(1988年6月)

マイクタイソン対マイケル・スピンクス戦は1986年6月27日、米ニュージャージー州アトランティックシティで行われました。


この試合はマイクタイソンのWBC、WBA、IBFの防衛戦で、無敗のマイケル・スピンクスとの対戦ということで、注目を集めました。結果はマイクタイソンの1ラウンドKO勝ち。


スタートからマイクタイソンはエンジン全開、強烈な猛打を振るい続け、スピンクスをロープに追い詰めます。さらにアッパー、右ボディと繰り広げ、スピンクスに膝をつかせた後も猛打炸裂。スピンクスは大の字に倒れてしまいました。


まさにマイクタイソンの強さを象徴する試合となったのです。


2.トレバー・バービック戦(1986年11月)

1986年11月20日、当時20歳だったマイクタイソンがWBC王者トレバー・バービックにラスベガスで挑戦しました。


2ラウンド、マイクタイソンはバービックに猛烈なフックの嵐を浴びせて、ダウンさせます。バービックは立ち上がってクリンチに持ち込みますが、マイクタイソンはアッパーから左フックをお見舞いし、再びダウンさせます。


バービックはふらふらと立ち上がろうとしますが、2回倒れ、3回目に立ち上がったときにレフリーストップ。マイクタイソンのTKO勝ちとなり、WBC王者に輝きました。


3.マーヴィス・フレージャー戦(1986年7月)

1986年7月26日。マイクタイソンはモハメッド・アリと激闘したジョー・フレージャーの息子であるマーヴィス・フレージャーと対戦しました。


どのような試合になるかと期待も集まる中、結果はなんとマイクタイソンの1ラウンドKO勝ち。マイクタイソンの右アッパー、右フックが炸裂し、フレージャーはあえなくダウンとなり、敗戦。


マイクタイソン強しを改めて印象づけた試合になりました。


4.アルフォンソ・ラトリフ戦(1986年9月)

1986年9月6日、マイクタイソンは元WBCクルーザー級王者 アルフォンソ・ラトリフと対戦しました。


世界前哨戦ともいえる試合でしたが、ここでもマイクタイソンの強さばかりが光りました。2ラウンド、マイクタイソンの左でラトリフはダウン。立ち上がったラトリフにマイクタイソンが猛攻をかけ、ここでまたダウン。これで試合終了となりました。


5.ピンクロン・トーマス戦(1987年5月)

1987年5月30日、マイクタイソンとピンクロン・トーマスの間でWBA・WBCヘビー級タイトルマッチが行われました。


1~5ラウンドはマイクタイソンが優勢でしたが、トーマスはクリンチでかわす展開に。6ラウンド目はマイクタイソンの強打が爆発します。


ラウンド中盤から、ロングの左フック、左右のフック、アッパーなどを織り交ぜると、さらに左・右・左と強打連発。ここでトーマスはダウンします。


なんとかトーマスは立ち上がろうとしますが、セコンドが止めて試合終了。


マイクタイソンの強さはとどまるところを知りません。


6.ラリー・ホームズ戦(1988年1月)

1988年1月22日、マイクタイソンはラリー・ホームズと対戦しました。マイクタイソンは無敗の王者、ホームズは19度防衛の名王者でした。


4ラウンド、マイクタイソンが強烈なパンチを炸裂。ボディに8連打、さらに重たい右フック。ホームズは大の字にマットに倒れ込み、レフリーが試合を止めて、マイクタイソンのTKO勝ちになりました。


7.ヘンリー・ティルマン戦(1990年6月)

1990年6月16日。マイクタイソンはヘンリー・ティルマンと対戦しました。ヘンリー・ティルマンはクルーザー級で活躍したオリンピック金メダリストです。ただ、ピークは過ぎていました。


マイクタイソンの方は東京ドームでバスター・ダグラスに負けた後の復帰戦になります。


試合では、マイクタイソンがジャブや左フック、右フックなどを浴びせて、ティルマンはあえなくダウン。1ラウンドKOでした。


8.アレックス・スチュワート戦(1990年12月)

1990年12月8日、マイクタイソンはアトランティックシティでアレックス・スチュワートと対戦しました。タイソンの復帰第2戦になりますが、試合はあっけなく終了。


マイクタイソンは右フックでダウンを奪い、さらにダウンさせて終わりです。


東京ドームでバスター・ダグラスに負けているとはいっても、強さ衰えずです。


9.バスター・マシスJr戦(1995年12月)

マイクタイソンは1991年7月、レイプ事件で逮捕され、有罪となり、刑務所に収監されますが、釈放後の2度目の復帰戦が1995年12月16日に行われたバスター・マシスJr戦です。


マシスJrはUSBA王者でランク4位22戦負けなしというボクサーでした。


3ラウンド、クリンチで対処していたマシスJrに対して、マイクタイソンの強烈な右アッパーが炸裂。すかさずラッシュすると、マシスJrがダウンしました。


なんとか立ち上がったマシスJrでしたが、レフリーの10カウントで負けが決まり。マイクタイソンは復帰第2戦を見事な勝利で飾りました。


10.ブルース・セルドン戦(1996年9月)

1996年9月7日、マイクタイソンはブルース・セルドンと対戦しました。WBA&WBCヘビー級王座統一戦です。


スピードが持ち味のセルドンでしたが、ハードパンチャーのマイクタイソンの敵ではありませんでした。


強烈なパンチでセルドンをダウンに追い込んだマイクタイソンは、セルドンが立ち上がった後もフックを決めまたダウンさせます。このままマイクタイソンのTKO勝ち。


レイプ事件によるブランクはありましたが、まだまだマイクタイソンが健在であることを証明しました。


全盛期のマイクタイソンは無敵だった

ここまで、マイクタイソンの全盛期の代表的なKO勝ちを紹介しました。


どの試合を見ても分かるように、マイクタイソンは早いラウンドでKO勝ちを奪い取っています。強力なパンチを炸裂させ、相手に隙も与えず、ダウンさせるという試合も多かったです。


全盛期のマイクタイソンは無敵だったといってもいいでしょう。その様子はタイソンの試合を収録した動画にも収録され公開されているので、ぜひご覧になってタイソンの強さを味わってみてください。

 

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